城下んひと

age29/IT系から接客へ/独立したいなァ

技術立国日本は職人が作ったものではない

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日本は今でも先進国だと思うが、50年後はわからない。少子高齢化に多すぎる政府債務、近隣諸国との関係悪化に硬直した官僚組織、学力の低下傾向、挙げればキリがないほどの不安点に囲まれている。

政府がうまく舵取りをして、ある程度豊かのまま静かに死んでいく日本になるか。ハードランディングして瀕死の国になるか、くらいしか将来展望を描けない。

しかし、日本には世界でも類を見ない奇跡が起きた時代もあった。ひとつは明治時代、富国強兵策を邁進し半世紀で五大国に並べられるほど成長した日本。もうひとつは戦後の焼け野原から20年でGDP世界2位に踊りでた日本。この奇跡をもういちど起こすことが出来るのか?でなければ日本は誰からも相手にされないような中小国に落ちぶれてしまう。

この2つの奇跡には共通点がある。ひとつは中央集権化。ふたつめは工業化。最後は上司と部下の関係だ。

中央集権化とは、国家が国民の歩むべき道を定義付け、企業活動を後押しして、国全体で目標のために邁進すること。維新後は薩長の政治家が中心となり中央集権が進んだ。戦後は官僚組織が中心となり、日本株式会社といわれるまでの集団協調体制を敷いた。中央政府が自由勝手に何でも出来るというシステムを作っていた。そこで行ったのが、富国強兵の旗のもと殖産興業政策を邁進したことであり、戦後は護送船団方式をとり管理されたケインズ経済政策下で、所得倍増計画を打ち出したことになる。

要は、欧米諸国から技術を取り入れる。なけなしの金で工場を建て、多数の農村出身者を工場勤務に当たらせる。大量生産が可能となり、それを輸出することで、国力を増強させる。政府は、そういった企業に法整備や補助金などの形で保護政策をとることで、国全体を豊かにしようとする。産業構造の大転換をやるわけだから、中央政府の腕力がなければ成し遂げられない。

表面だけみれば、これが日本の奇跡の主因だ。しかし、それだけで良いのであれば、他国も同じように発展できるとも言える。世界には日本並の国がゴロゴロしていても良いはずだ。

五大国になるにも、GDPが2位になるにも、どこかの時点で欧米列強を追い越さなければ達成できない。技術コピーによる近代化を脱したら、それ以上の成長は不可能になる。欧米を追い抜くことは不可能なはずだが、日本は独自の技術開発によって、列強を押しのけるほどの成長を果たした。戦艦大和もウォークマンも独自技術がなければ作れない。この、他国にはなく、日本にはあった独自の技術発展は、どこから生まれたものだろう?

 

世間一般では、日本に「匠」や「職人」の精神が根付いているため、と解釈されているように思える。日本人はクリエイティビティが素晴らしいためと評されることもある。だが、「職人」は日本社会で活躍できているだろうか?「職人」は日本社会で尊敬されているだろうか?私はそうは思えない。

 

青色ダイオードを開発した中村修二氏が、勤め先相手に数百億の訴訟を起こしたのは記憶にあたらしい。世界的発見をしたとしても給料に反映されない日本の企業風土はどう考えればよいだろう。企業の役員に技術職出身者が少ないのはどう考えればよいだろうか。企業活動に不可欠な手だれの技術者が韓国中国企業にやすやすと引き抜かれていた歴史をどう思う?高齢の熟練工がいるが後継者が育たない、そんな中小企業は無数にある。

 

つまり現代の日本社会では「職人」を尊重する文化はほぼない。むしろ「偏屈」とか「扱いづらい」とか「世間知らず」といった見下げるような風潮すらあるような気がしてならない。それは過去に遡るにつれて色濃くなる。


「職人」の精神がベースに無いのならば、日本の急成長をささえた独自性とは何だろう。おそらく、それが、おそらく「上司」と「部下」の関係にあるのではないかと思うのだ。

維新後も戦後も、日本では大幅な人口上昇局面を迎えている。維新後は工業化によって人口が急上昇し、戦後は朝鮮特需と2度のベビーブームで人口が上昇している。日本の独自技術開発は、この増えた労働力によって成し遂げられたといっても過言ではない。彼らのことを「部下」とする。


そして、日本には特殊性がある。そんな大勢の人口を従えて、社会を動かしていたのが、武士であり戦前生まれだったという点だ。武士も戦前生まれも、多難な人生を歩んでいる。武士として生きているということは、はばからずも命を賭して君主に仕えるということだ。そのために長州征討やら戊辰・西南など多くの戦争をやりとげた。また戦前生まれの人々は大抵、軍国主義の薫陶を受けている。「玉砕覚悟で闘え」「二十歳まで命はないと思え」と言われて育ってきた世代なのだ。

人生を君主のために捧げる生き方は、強烈な精神力の根源となる。死ぬ覚悟があればなんでも出来てしまうということ。彼らは自分に厳しいが、人にも厳しい。そんな骨太の上司に指示されて、大勢の部下が命をすり減らして働いた。

つまるところ、死の覚悟を背景とした「上司」と、日本史上まれにみる大勢の「部下」の組み合わせによって、日本は奇跡の成長を成し遂げられたのではないだろうか。

技術の開発は、最終的には手間の数がものをいう。演繹的な思考実験だけで技術革新は成し遂げられない。帰納的につまりチャレンジし失敗を多く重ねての発見というものが必要不可欠だ。そのために2つの時代の「部下」と「上司」は筆舌に尽くしがたい努力をやってきたのだろう。言い換えれば、その努力を部下に強いるほど、上司にはリーダーシップがあったのだろう。だからこその、技術大国日本だと感じる。



そこで振り返ってみる。今後の日本に奇跡は起こるか?

今後は中央集権化は望めそうにない。やや遅きに失した「小さな政府」や「道州制」の論議が政治で幅を利かせている。「工業化」しようにも他国からとりこむべき技術など皆目わからない。そして何より今の時代、少子化が深刻だ。「部下」の数は少なく、気骨のある「上司」もいない。青年時代に「新人類」とよばれ、無気力で日和見過ぎると批判された世代が多くを占める。

どう考えても日本に奇跡が起こるはずがないと思えてきてしまう。もっとも、強烈な上下関係で邁進する社会もまた、幸せであるはずもないのだが。